Ally にならない

Accessibility

アクセシビリティ Advent Calendar 2021 の 10 日目の記事です。
アクセシビリティです。ポエムです。オチもないです。
(次から本文)

はじめに

現職で医療ソフトウェアを開発して 2 年以上が経つ。
入社初期に指摘したのが、なぜかユーザーの登録画面にある「性別」の選択欄だった。
選択肢に「男性」「女性」の 2 種類しかないやつである。

「性別」を大まかに分けると、生物学的な性別(Sex)、個人が抱く社会・心理的性別(Gender)がある。
生物学的性別と、社会・心理的な性別は一致しない場合がある(Gender identity)。
一致する人はシスジェンダー(Cisgender)、一致しない人はトランスジェンダー(Transgender)にあたる。
性別を持たない人、変わったり決めてなかったりわからない人、身体的な性を産まれた時から変えない人、身体的な性を産まれた時から変えた人、性別変更の手続きをしてない人、身体的な性を変えようとしている人などもいる。
そんな中で「男性」「女性」の二択だけがあっても、答えられなかったり、抵抗を抱くユーザーがいる。

今回は Diversity, Inclusion というワードが飛び交う現代、「やらなきゃな」という浅はかなお気持ちで性別入力の問題提起をしてしまった過去を思い出し、それを反省するためのポエム。

Ally にならない

当時は何も考えずに多様性!ジェンダーに配慮!みたいな雑対応をアプリに入れようとした。
でも、本当にこの問題を考えるなら、Ally になる必要はなかった。
Ally は、セクシャルマイノリティに共感を示すシスジェンダーであることを指す。
"Straight Alliance" という単語が派生して、「味方」という意味の "Ally" になった。
自分はこの Ally にはならず、味方でも敵でもないスタンスになった。
なんで Ally になる必要がないかといえば、Ally は銀の弾丸ではないから。

2021 年に厚労省が、履歴書の性別欄を任意にする様式を発表したニュースがある。
履歴書の性別欄に男女の選択肢設けず 厚労省が案作成 | LGBT | NHKニュース
ニュースによれば、将来的に履歴書から「性別欄」を無くす動きがあるという。
背景には、トランスジェンダーの人々による署名活動がある。性差別をする会社があるらしく、性別を書くことに抵抗を抱く人が出てきた。
面接官から「君は男なの?女なの?」。トランスジェンダー公表し就活した東大生の苦悩

「履歴書から性別欄をなくそう #なんであるの」にもあるように、一応日本は男女雇用機会均等法によって、性別を採用の基準とすることは認められていない。また、面接で男女雇用機会均等法に抵触する質問は禁止されている。
それでもデリカシーのない質問をダラダラされてしまう現実がある。問題は履歴書なんだろうか?
これは、履歴書に性別欄がある日本に限った話ではない。
UK Totaljobs の調査でも、トランスジェンダーの 410 人中、半数以上の 56% が「仕事を探すのが難しい」と回答している。
Two Thirds Of Trans People Do Not Feel Safe To Disclose At Work | HuffPost UK Life

紙切れ一枚の入力欄がなくなったところで、プライバシーにズケズケ突っ込んでくる会社が変わるんだろうか。そんなところに採用されても「働きづらさ」を会社に抱えていく問題が続くのかもしれない。
マイノリティが周知されることによって、いずれは改善されるのかもしれない。でも、それは暗黙の Ally に征服されるだけのお話。

いつしか性差別の問題が、性別欄のバリアにすり替わっている。
本当は、性別欄が自分の考える性別とか「知るか」「聞くな」「そんなものはない」とかを書ける、あるいは無記入でいられるようになるための、社会モデル的な課題があったのかもしれない。
そんな課題はもう持てないだろうし、性別欄を消したって、性差別の問題は解消されない。
履歴書に性別欄がなくて困りました。LGBT当事者の体験 | 株式会社Nijiリクルーティング

共感を示したり、多様性を尊重することだけが、必ずしも良い対応になるとは限らない。
履歴書から性別の項目を消すのは、性別の問題をタブー視する、誤った結論に導きかねない(というか、導かれてしまった)。Ally な対応を意識しすぎても、誰かが不利益を被るかもしれない。

Ally になる、というのは Inclusive な考え方であって Accessible じゃない。
ユーザビリティガイドラインなのかもしれない。ペルソナが増えてるだけなのかもしれない。
「このフォーム、男女しか選択できない!」「なんで性別を選択させるんだ!時代錯誤!」と嘆く前に、いったん立ち止まって、思っているより複雑な問題であることを受け入れないといけない。

性別コード

多種多様な性別をコードで表現できるわけではないが、「性別コード」の国際規格がある。
それが ISO/IEC 5218:2004 Information technology — Codes for the representation of human sexes というもの。 ISO 5218 は生物学的性別を指定するための規格で、ジェンダーではない。
しかし 1(Male)2(Female) の他に 0(Not known)9(Not applicable) というコードがある。
これらのコードによって「不明」であったり「当てはまらない」という値を指定できるようになっている。
ただし Null0 に割り当てられるのを想定すると 9 しかなさそう。

ISO 5218 とフロントエンドでの性別の取り扱いについては、次の Qiita 記事がとても詳しい。
システムで「性別」の情報を扱う前に知っておくべきこと - Qiita

説明すること

ソフトウェアの話に戻ると、うちは医療ソフトウェアなので、生物学的な性別を聞かないといけない。だから「男」「女」という二択のみを要求しないといけない。
落としどころとして、「生物学的な性別を指定する」という説明を追加することになった。
コンテキストを理解してもらうため、生物学的な性別を選択する理由を説明するのはアリかもしれない。
ただ、これは結局「番組に使用されたパイはパーティー用のものであり、食用ではありません」と書いてるようなもので、つまるところ「クレーム対策」に近い。

クレーム対策じゃない!Diversity だ!と言っても、前後の体験を通せば本性がバレる。
このソフトウェアは診察中にコードを発行して使われるものなので、その手前にある病院の「問診票」で、「男・女」の性別欄にぶち当たっている可能性は往々にしてある。なんなら保険証でわかってしまう。
性別欄の試練を乗り越えても、医療アプリやヘルスケアのアプリというのは、性別によりコンテンツの中身を変える悪しき習慣がある(実装工数が膨らみ、開発側にもいいことがない)。
結局、ジェンダーニュートラルな対応なんてものは何1つできてなくて、生物学的な性別を入力するところについての「クレーム対策」だけが残ってしまった。

本来は「このような理由があるので、あなたにパイを投げてもいいですか」と申し入れること自体ではなく、Gender identity を阻害しない体験であることが重要だった。そこができていなかったので、「うちのソフトはちゃんと対応してます」というリップサービスで終わってしまった。
性別入力に説明を加えることは、性別問題の煩雑さから回避するひとつの手段ではあるかもしれない。ただその後の体験で Accessible であることを担保できるわけではない。

尋ねないこと

性別の入力欄自体を消すという取り組みがある。
フォームの性別についての取り扱いは「UX デザイナーがオススメする」的なのはあるけれど、2021 年 12 月現在でも特にすげーガイドラインが存在するわけではない。
有名なものに「尋ねない」プラクティスがある。

Designing forms for gender diversity and inclusion | by Sabrina Fonseca | UX Collective

As with any form field, if there isn’t a clear benefit to the user, you probably shouldn’t ask about it. (ユーザーの直接的な利益に繋がらない場合、性別を尋ねるべきではないでしょう)

「尋ねない」ことは理想論に思える。引用元の記事でも述べられているが、ユーザーや開発者が望まなくても、マーケティングなどで望まれる場合がある。
規約と Analytics を仕込んで、性別のデータを収集させられるのがオチかもしれない。
だから、まずビジネスに必要なデータかを話してみないとダメだし、今はよくても鶴の一声で必要になるかもしれないし、プロジェクトがレガシーすぎて性別消したら動かなくなるかもしれないし、結局「選択」はスケーラブルにしておこうね、という話になる。

あと「尋ねない」ことは本当に最良なのだろうか。Diversity の観点で言えば、むしろ Gender identity に関する社会的な課題や、本来持っているはずの自由度に蓋をしているように思える。
これでは「履歴書問題」の焼き増しである。次の記事のような指摘もある。
The gender of the user matters. Period. | by Michael Barsky | UX Collective

「サービスに必要かどうか考える」というのは、サービスの性質によるので答えは出ない。
UX の観点で言えば外すけど、Diversity の観点であればちょっと考えたいという結論。 ただ、フォームがあるなら「嘘を強制しない」ことは大事だと思う。

If you can only provide users with options that force them to lie, don’t ask. (もしユーザーに嘘を強制するオプションしか提供できない場合は、尋ねないでください。)

嘘を強制しないこと

今年、性別の選択肢に対するクラウドワークスの取り組みが話題となった。
クラウドワークスはサービスの仕組み上、「男性か女性か」の情報を知ることが必要だった。同社は「男性」「女性」に加えて、第三の選択肢である「無回答」を追加した。
ユーザーの性別選択はなぜ必要なのか 〜サービス価値を考える〜|みーた|note

「無回答」というのは、英語だと "Prefer not to say" と表現される。
「その質問に対して、回答することを望みません」というニュアンス。

"Prefer not to say" は、「性別を答えたくない」ケースだけでなく「個人情報を提供したくない」ケースも回収できる点でメリットがある。
その一方で、男女を除いた選択肢としての "Prefer not to say" は、ユーザーに「回答を望まない」という嘘をつかせることで、 Gender identity を意図せず拒絶する恐れがある。
つまり「答えたい人」が「答えたくない」を選ぶという、悲しい現象が起こる。

そこで "Others", "Custom" などの項目も加える方法がある。
これは、単一のラジオボタンだけにとどまらず、コンボボックスや自由入力として追加のオプションを与えるもの。ユーザーは正直に現在の性別を入力できるし、しなくてもいい。

Yahoo は "回答しない" と "その他" の選択肢を両方設置している。
Etsy は "回答しない" の他に "オーダーメイド" という自由入力のオプションがあり、好きな性別を設定できる。

"Others" というのは「他のどれか」というニュアンスで、やや排他的に思える。
Facebook では "Custom" という項目名だった気がする。
表現はどうにでもなるとして、多種多様な選択肢がカバーしきれない。UI としてはプルダウン、コンボボックスなどで実装できるかもしれないが、Gender コードはオレオレ規格で決めないといけない。
現状はベストエフォートな対応を目指すしかない。

ラベルを付けないこと

Facebook の "Custom" で 50 以上の選択肢から性別を指定できるけど、それでユーザーの性をカバーできるとは限らない。
Ally になる、というのは LGBTQIA+ のようなラベルに囚われることではないとも思っている。
究極的には Ally というラベルもいらない説すらある。

先日、早稲田大学 GS センターが主催する「絶対恋愛になる世界vs絶対恋愛にならない私ーAロマンティックAセクシュアルー」に参加した。
A ロマンティックや A セクシュアルは、恋愛感情や性的感情(あるいは両方)がない指向。
その会のパネルトークの内容は、示唆に富むものだった。

  • 他者からの求愛を受けて自認した(自認するタイミングがある)
  • ラベルは自分の住所である(自分の位置付けを知るために必要)
  • ラベルにこだわる必要はない(自分を知るためにラベルを適宜付けかえる)

誰しも産まれた時から自分を知っているわけじゃなくて、社会での生活を通して気がつくことがある。ラベルは自分が自分自身を知っていく・伝えていく過程で使うものであって、誰かに一方的に付けられるものではない。

ラベルをつけることによって、未知のものへの恐怖を取り除いたり、他者と言語を共有する文化は昔からある。
日本では、未知の事象に立ち向かうためにラベリングする「妖怪」の存在がある。
牧村朝子さんは、その「妖怪」の例を取り上げ、未知へのラベリングに対して、次のように述べている。

変な言い方ですが、「同性愛者」とか「レズビアン」とかというのはある種、現代の妖怪なのだと思っています。異性を好きになるのが普通だ、そうでないのはおかしい、意味がわからない、理解できない。ならばそういう人たちに「同性愛者」とか「レズビアン」という名前をつけよう。同性愛者ならしょうがないよね。レズビアンならそういう人たちだよね。自分とは関係ない、別の種類の人たちだ……そういう風に、名前をつけることで自分と切り離し、わかった気になり、イメージを共有するのです。 - 牧村朝子(2017). 百合のリアル 増補版 (Japanese Edition) Kindle 2602-2606

結局のところ、人のラベルを付けようとしてもわかった気になれるだけで、実際には何もわからない。
牧村さんは、自身が「レズビアン」としてカテゴライズされる自覚はあるが、そのようなラベル自体にとらわれていない。

ラベリングは他人ではなく自分自身をわかるためのプロセスで、変わるのも示すのも自由。
人をカテゴライズしたところでなんもわからん。
だから Ally になるより、自分自身を知ろうとする人を邪魔しない体験になってるかを考えたい。
問診票、クレーム対策、性別分岐コンテンツと SASUKE ばりの難関だらけだけど…。